遊透航路 yusuke kouro

2010/08/22

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土曜の午前に、アメ横→ 南千住の小塚原刑場跡→ 山谷(さんや)→ 吉原→ 浅草と歩いた。

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アメ横には終夜営業、朝から営業の酒場がたくさんある。

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朝からくだまく客であふれた酒場もたくさんあった。
こういう場所を歩いていると、ひどく心がおちつく。

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南千住に移動した。

江戸の三大刑場だった小塚原刑場の跡。

多くの「罪人」が首を飛ばされ、無数の生首が宙を仰いでいた場所。
そのうちどれほどが無実の罪を着せられた者たちだったろう。

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現在、南千住駅真横の縁命寺や回向院がある一帯が刑場であった。

<地図>

つまり常磐線の線路は、刑場の敷地中央を貫くかたちで敷設されている。
地図で見れば、いくらでもその場所を避けて作れそうに見える。

あえてその場所の上を線路でつぶそうと考えた人間の思考が興味深い。

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刑場跡から南下した場所にある泪橋交差点。
もとは川にかかった橋だったが、今は明治通りが走り、川はない。

この橋を渡れば、あとは首を飛ばされるのみだった。

浮世との今生の別れ、うらめしさをはらんだ泪の川も、いまはアスファルト舗装の無機質な交差点。


泪橋を境に、ここからが「山谷(さんや)」である。
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山谷(さんや)は「日雇い」のためのドヤ街だ。

ドヤは「宿」の逆さ言葉だ。
当時、高度経済成長を支えた労働者たちのための簡易宿であふれていた。

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いまもある程度残っている。一泊千円二千円程度。

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居酒屋の二階もドヤだ。

元「日雇い」たちは、縁も金もなく、けっきょく現役引退後も仲間同士身を寄せている。
ドヤ街から現役の労働者たちは消えてもドヤが消えないのは、彼らの受け皿となってるためだ。

改装して外国人目当ての安宿に生まれ変わっているところも多い。
一泊三千円前後といったところ。
欧米のバックパッカーとたくさんすれちがった。

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手前は若い義足の白人。一人距離を置いてワンカップをにぎっていた。

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ドヤ暮らしもままならない人たちだっている。

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隣接して、江戸遊郭の頃から時をうけつぐ吉原がある。

山谷と同様、地名からは消えている。なんとか交差点に名前を見ることができた。

中心部には乱立といっていいほどその手の店が立ち並び、「や」の字の男たち、彼らを乗せた車が頻繁に発着していてなかなかきな臭く、のん気に写真など撮れる雰囲気ではなかった。

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これらは周縁部で撮った写真。

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炎天下のなか徒然に歩いていたら浅草六区にでた。

ポルノ映画館、やくざ映画館、場外馬券屋、パチンコ屋に多くの男たち出たり入ったりしていた。

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有名なストリップ小屋とのことだ。

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250円弁当とある。見てみたら、量もたっぷり中身もしっかりで美味しそうだった。

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気づいたら仲見世に迷い込んでいた。

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寿司屋に入って、すぐにビールを浴びた。

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光りものから。

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(撮影:iPhoneカメラ)


(14:31)
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