2010/10/05
「アフガン隣接国」、「旧ソ連」、「2010春のキルギス動乱の関連国」。このような事情があることから、渡航に際して危険はないか?と周りからよく聞かれた。
それに対し自分は、「ラピスラズリとターコイズの青が美しい寺院とともに人々が暮らすクニ」と、安全うんぬん論に対する明確な回答は提示できないまま、ただ往事からの歴史が今も生きづく美しいクニであるのだということを言っていた。
到着翌日にタシュケントを、そして追ってサマルカンド歩いて知ったのは、ウズベキスタンはそのどちらでもないことだった。
ウズベキスタンは、西欧的な街並みと現代的なインフラに整えられた、安全、清潔な観光国だった。
公園や街路を談笑しながら歩く市民たちの風景からは、危険という言葉はおよそ想起しにくい。
また、青い寺院はたしかにあったが、現在形で生活の一部としての信仰の場所とはなっておらず、外国人のための観光施設として整備され、たたずんでいた。京都の金閣寺のように。
このような点がいいか悪いかは議論が分かれるだろう。
ただ一つ言えるのは、ウズベキスタンは、日本ではやや危険そうであり一般人にとって渡航が難しいと思われがちだが、それは誤解であるという点。フランス人を始め、熟年団体旅行なども多く誘致している様子が広く見られた。
このブログの紹介を通して、人々、食べ物、建築などの美しさに共感した人は、ぜひまよわず実際に行っていただきたいと思う。
タシュケントやサマルカンドではいわゆる「西欧的」な住居や街造りが多く見られた。
それはのちのちご紹介したい。
ここでは、消えつつあるも今も残る「旧ソ連」の面影を見てみたい。
ほとんどの車は現代的な車種だが、まだ1、2割ほどはクラシックなものが現役でがんばっている。
モスクだけでなく、ロシア正教の教会もある。
集合住宅。
一部では「没個性的な旧ソ連的建造物」と揶揄されていたが、自分はそうは思わなかった。
魅力的だとおもった。
20世紀のもう一つの夢、「未来」を夢みた夢がつまっているように見えた。
トラムも当時の名残の一つ。
一回500スム。約20円ちょっとだ。
当時の名残なのは乗り物そのものだけではない。
料金徴収が、自己申告制なのだ。つまり挙手しないかぎり払わなくてすんでしまう(場合もある)。
共産主義は負の遺産も多かった。しかし、基本的には人間の欲望面ではない、善なる部分に賭けてみようという壮大な実験だったんだなということを懐古してみたりした。
ちなみに、資本主義帝国の属国からきた私は、初トラムを無賃乗車しちゃいました。すいません。
(08:30)