遊透航路 yusuke kouro

2013/11/04

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2013年は11月。
その10年前に遡ってみる。

3月にアメリカがイラクに侵攻するのをベトナムとカンボジアの戦跡から見聞き、思念していた。キリングフィールドに累々と積まれ天をにらむ髑髏たち、サイゴンではホルマリン漬けの奇形児の眼がまた虚空を見止めていた。

日本にもどると、また元どおり新聞社でほとんどの時間をすごす。
早稲田の文学部の校門をくぐるのは週に一度か二度、辺見庸氏と、小説家諸氏に会いに。

知人の死がその6月29日。その事と、その当時ときを重ねた幾人かの影響で精神世界に惹かれていく。秋にはインドにひと月こもる。

関口の風呂なし四畳半をアトリエと呼び、多く読み、多く感じ、多く考え、多く書いていた。暑く、すきま風の寒い部屋だった。身震いするほどの朝も屋上で禅を組んでみたり。古い、月の湯という銭湯は冬至の日に無料でゆず湯を開放した。

村上春樹を鼻で笑いながらヘンリーミラーや島尾敏雄やボードリヤールやアメリカンインディアンやらクルド民族についてやらを、ボッサノバとフルボディの赤ワインとチーズで、めくっていってみたり。(本当に好きだったのは坂口安吾と寺田虎彦とサルトル)

mixiもブログもなくgeocitiesに立てた遊透航路のアップデートは終夜開放の大学のパソコン施設でダイアルアップ接続にて。

ベローチェの喫煙席でトマトとポテトのサラダとコーヒーで粘ったり。(知人の死のあとから数年吸った。フロンティアメンソールかなんかから入って、マル金、アメスピ、6ミリのマイセン、たまに8ミリ、パーラメントにいったときもあった。一番美味いと思って長く吸ってたのはデザイン一新してかっこよくなったキャスターかな)

京都によく行ったのもこのあたりだったと思う。同志社との一年間の交換制度に応募しちゃって構内掲示板で合格を確認して、やっぱしやめたり。

野外レイブときどきクラブでびかびかのVJとgoaトランス(このときはそんなジャンル名も何もさっぱりしらんかった。ヘブンズドアも知らない。ただつれてかれるままについていっただけ)らしきものにも触れ始める。

周りといえば黒カラスのシュー活の群れ。高をくくって我関せずをきめこんでいた。卒論の小説をもんわり考えながら、エジプトかメキシコへの留学を考えたり。

とりとめないし、現実みないで高をくくってるようだし、ユニークさをめざしてるようで、よくいるパターンだよ、な感じかもしれない。

けど、5年後、あるいは10年後のいまからみて、あの2003年は、ようやったと思う。全然間違ってなかった、と思う。

むしろ、10年後のこの今、精神も肉体も贅肉にたるみ、読まず、書かず、物質的に怠惰に時間に飲まれて思考停止しているこの状態を、10年前のあいつに鼻で笑われているに違いなく、変革をしなくてはならない。



(01:28)
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